よそみ余所見

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第1号(252版)
2018年3月15日 21時54分46秒 発行

連載記事 

掲載日:2018-03-15 21:54:46

【連載記事】三国ヶ丘にて(山本握微)

三国ヶ丘にて 山本握微

 盆踊りは極めて普遍的な楽しみですが、関西各地の盆踊りをあれこれと踊り較べて楽しむのは、少し特別な楽しみ。特別といっても気張った遠征などでなく、飽くまで隣町へ遊びに行く、ごくささやかなこととして(と自分に言い聞かせ)。これが可能なのは、偶然にも実家という宿泊拠点が堺にあるという地の利によるところ多し。例えば伊丹は盆踊り盛んですが、そこから同じく盛んな橋本まで行くのは容易ではありません。以前より、堺を一つの元ネタとして、作品に地名を登場させたり、又は阪堺線をテーマにした短編劇を作ったりしてきたけれど(地元への愛着というより、これといった特徴なく普通に寂れた町に親近感あるから)、斯くして最近の盆踊り趣味からもまた一つ、堺に新しい意義を見出すことができました。

 そも堺とは、三つの国の「境」に由来し……というのは皆様ご存知の通りですが、本当に恥ずかしながら、サカイサカイとこれまで言うてきた割には、具体的にその境が何処か、あまり気にしてこなかった(これまで興味の中心は、左海に面した大浜界隈だったこともあり)。

 ということで、先ずは復習。その三つ国とは摂津、河内、和泉(泉州)。なるほど……どれもざっくり、大阪、ってイメージはありましたが違いがよくわからなかった。今ではもう少しはっきりわかります。何故なら摂津音頭、河内音頭、泉州音頭と、いづれも国名冠した「音頭」があるから。河内音頭が盛んな河内、はそのまんまですが、摂津は大阪府北中部の大半と兵庫県南東部だから「録音頭(ご当地の音頭だけでなくレコードを用いて各地の民踊や歌謡曲を踊る都市型の盆踊り)が盛んな地域」即ち大阪市内から淀川、尼崎、伊丹など、特徴と地域がピタリ当てはまります(尚、摂津音頭と呼ばれる民踊は伊丹市の旧川辺郡に限られます)。

 まあ、それは多分にこじつけ。再び三つ国の境、堺が堺たる境の「一カ所」とは何処なのか? ……ああ「三国ヶ丘」という地名がそうだったんですね。三国ヶ丘は昔から聞き慣れた地名で、特別な感じがない。最初は市内有数の進学校の名前として、次は南海高野線と阪和線が接続する微妙な乗り換え駅として(二十年程前、阪和線は三国ヶ丘駅に急行の類は停まらなかった。高野線は今も通らない)。単に、あのへん、としか印象のなかった地名。

 地理的にも境界という感じがない。現在の市境である、わかりやすい大和川のような区切りもない。そのかわり「境」の象徴としてあるのが、府道12号線沿いにある方違神社。あー……なるほど……。あの神社、結構有名とだけ聞いたことあるけれど、寺社仏閣玉姫殿の類にあまり興味なく、スルーしていた。まさしくあそこが「堺」だったとは。意外。そして我が家も、まさしく方違神社のすぐ近く(いや、すぐではないけど、まあわりと近く)にあり。

 ということで新年は、生まれて始めて自主的に、初詣をしてきました(正に、初、詣)。秋頃にも行ったのだけど、その時は社が建て替え中でした。方除けの神社ですが、前述のことから勝手に盆踊りの神社と決め込んで、今年も一年、色んな踊りができますよう、また界隈の踊り子たちが無事過ごされますよう、と祈願してきました。

 三国の境界故に何処でもない場所が「無」でなく「境」でもなく又「全」でもなく「方違」と表現されるのも、なんか良い。これは「方違え」の風習に由来するからで、この場所自体が何かしら「違う」という否定的な意味ではない、のだけれど。

 たがい、は「違い」だけでなく「互い」とも音が通じる。字源も語源も別だろうけど、かみあわない「違い」も、かみあう「互い」も、いづれも重なり合い、干渉し合い、真逆の様相のようでいて、実はよく似ている状態なのかもしれない。ただ、とても不安定である。そわそわとする。すっきりとは収まらない。そんな場所が「方違」と名付けられているなら、そう、と思う。

 実際、たがえた「堺の盆踊り」は少し謎めいている。まずそれは堺独自のご当地ものでなく、河内音頭や江州音頭などが流入したもの。他所でも多くはそうだけれど、それがパッケージのままその名で呼ばれるわけでもなく(外部から来たものは、帰って名前が固定されやすいと思うのだけれど)、太鼓の宮入に付随する形で、他の地域に較べて少し変形した足取りで踊られる(金岡神社)。盆踊り巡りに至便な堺、けれど堺そのものは余所に較べてはっきりとした盆踊り文化があるわけじゃない。いや、むしろ夏場は盛んで音頭会も多数あるのだけど、「堺の盆踊り」なるものが一つのパッケージとして余所で披露されたりはしない。不思議なことに、より南の岸和田や貝塚までくれば、今度は泉州音頭として明確な特色となっていく。中心、故の微妙さ。

 三国ヶ丘、というイメージをごく私的に流用すれば、私の家族が巡って来た中国、韓国、日本という三つ国にも重なる。これまでは前述の通り、木製洋式燈台が照らす「港」としての堺にそのイメージを委ねて来たけれど「丘」としての堺でも良かったわけか。とはいえそれはやはり、境界線のように明確でなく、横断できるような自由さもなく、また何処でもない場所というほどニュートラルでもなく、方違。その辺りに今現在、私の実家はあり、年老いた両親は、経営する殆ど客の来ない中華料理屋と婦人服屋という隣り合わせるには相性の悪い組み合わせの店舗付住宅の奥で、中国経由で字幕のついた韓国ドラマをネットで観ながら夕飯を食べている。泉州や紀州からの盆踊りの帰り、私もそこに同席する。




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